2014年11月9日日曜日

ぐるりのことを考える 【ぐるりのこと1】

まだまだ、何をどう書いて良いやら
自分を、どう進めて良いやら
暗中模索みたいな状態なんでありますけれども
とにかくまぁ、なんであれ書いていけば
いずれ、何かしらの契機が訪れるであろうと信じて
なんやかやと書いていこうと思っとります

本当にここ数年における自分自身の変化は、かなり大きいんですけれども
一番最近、大きな契機になった本を紹介しつつ
意識の変化みたいなものをつらつらと


梨木香歩「ぐるりのこと」新潮文庫


このエッセイの存在は、とても大きかったんス


映画にもなった「西の魔女が死んだ」が、すこぶる有名ですけれども
僕はいまだにこの小説は読んだことがなくて
一番最初に読んだのが、この「ぐるりのこと」でありまして

これは小説ではなく、エッセイで
作者である梨木さんが、生きていく中で、日々を生活していく中で、旅先で
感じ、考えた「ぐるりのこと」に対する事柄が綴られとるんス

薄いエッセイなんスが、とても広くて、深くて
さらっと読めないくらい
じっくりと噛み締めながら味わうような

例えば
『群れ』と『個』という内容について書かれているものがありましてね
『群れ』と『個』ってなぁ、なんなんだ?
なぜに生じるのだ?
そのバランスはなんなんだ?
これを分かつものというのはなんなんだ?
なぜ?
なぜ?
なぜ?

そんな感じなんですね、すっげぇ簡単に書いちゃうと
こう書くと身も蓋もない言葉になっちゃうんで、ぜひとも読んでもらいたいんスけれども

もうちょいエッセイの中身に触れますと
割と、大半の動物/生き物が、群れているじゃないですか、人間を含めて
でも、それは個の集まりで
人間の場合、それに『感情や思考、社会などなど』というものが付随しているので
とても複雑になっとる
みたいなことなんですけども

人間の場合
群れから飛び出そうとする/飛び出た行動をすると、個は叩かれる
群れに引き戻そうとされるか、群れから追い出される
これは群れとしての防衛本能が働くからなのか
人間特有の『群れていたい/その安心による安寧』から起きるのか

群れから飛び出した個は『個そのもの』なのか
それとも
『群れの中の個として、新たな群れを作るための、群れとしての本能的なものなのか』
という疑問

一方で、どちらにも属さない人たちもいる、と
『流離感』という言葉で表現されておりましたけれども
たとえば、ジプシー
彼らには帰る故郷がない
しかし、群れである
けれども決して馴れ合う群れではなく、限りなく個であり、限りなく群れでもある
というような

そこでは作家であるカズオ・イシグロさんも挙げられておりまして
小説「わたしを離さないで」や「日の名残り」が有名ですな
この方は、幼い頃にイギリスに移住したそうなんですが
長じていくにつれ、自分のアイデンティティを、日本人とも言えず、英国人とも言えず
インタビューでは、どちらの国の人のことも『They』と表現しているそうです
『彼ら』なのです
『We/わたしたち』という言葉を用いることのできない『流離感』がある、と

そして
群れは民族という括りにもなる、と
群れは群れを守るため、別の群れを襲う、と
駆逐/支配しようとしたりするわけですな
ここらへん、進撃の巨人が描いている世界が思い浮かんだりもして


とにかくまぁ、とても興味深いんス
書かれていることのすべてが


こういう、群れと個について、エッセイの中では
野生の鹿についてだったり
薩摩藩という強烈な封建制度の中から生まれた西郷隆盛というカリスマについてだったり
第二次世界大戦や
学校教育、世代間の差、犬、引っ越しなどなど
広い範囲に触れながら紡がれているんでありますよ

タイトル『ぐるりのこと』とあるように
群れと個の境界線、ということでもあるし
群れという群れ、個という個、を取り囲む環境のことであったりもして

そもそも地球には境界線なんてなかったわけですよな
地球そのものは、ひとつであって、分割できるシロモノじゃないわけッス
大陸や島々に分かれてはいても、地球は地球で、ひとつなわけです

しかし、そこに発生した人間が
人種、民族、と枝分かれしたことによって
縄張り意識が生じ、境界が生じたと
さらに、その境界の内側では
貧富の差や、地域の差、信仰の差、見た目の差などなどが発生して
境界の中も、境界だらけになっていき
群れの最少単位は家族
そして地域、村、市、区、都道府県や州、国
別枠だと会社やら宗教やら、なんやかや

境界線だらけになってしまったわけですね
でも、それをバラしていくと、個になるわけです

そして『個』の中にも、境界線が幾つも引かれていったりもしているわけで……



様々な場面でよく取り上げられる話として
10匹の働きアリがいたら、7:3だかの割合で、働くもの、働かぬものに分かれる
みたいなのがありますよね、数字はうろ覚えなんでアレですけども

働かない3を取り除くと、残った7のうちから3が働かなくなる、と
間引いても間引いても、全員が働くわけではないのだ、と
はみ出すものが、必ず出てくるのだ、と

であるならば
群れの中から個を排除しても、排除しても
個が生じてくるんでしょうなぁ

極端な話、最後は、群れではなく、個に行き着いてしまうのだろうか

どうなんでしょうかね、これね
とても興味深いテーマっすよな、群れと個、境界、ぐるりのこと

エッセイには書かれていなかったんですけど
僕がこれを読んで浮かんできたことがあって

レミングという鼠は、何万匹もが、どんどんと後を追いかけるように自殺していく
なんていう習性があるじゃないですか
この場合、個から群れへと伝染していくのかなぁ
それとも、群れとしての行動なんだろうか

百匹目の猿という話もありますよな
ある猿が、芋を海で洗ったら、塩味がきいていて美味しかった、と
それを真似た猿が増えていった、と
その数が百匹を超えると、すべての猿が同じことをしはじめる
なんていう話
証明はされていないことらしいですけども
こういう話が生じるからには、何かがあるんでしょうなぁ
この場合は、個から始まったのに、群れと同一化しちゃうわけで

とても面白いッス、境界線、ぐるりのこと
面白くないッスか?

あ、僕が「面白い」と使ってる場合、それは
「興味深い」という意味合いであります

んで

このエッセイを契機として、僕は『境界線/境界/境目』について
あれこれと考え始めるようになっていくんでありますけれども……
かなり長いので、シリーズ化して書いていこうと思います!

短文よりも、長文の方が性に合ってるなぁ、と
改めて思いました!笑

長文のご拝読、感謝ッス!!

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