2014年11月17日月曜日

境目って、なんだろう 【ぐるりのこと2】

境目って、なんだろう


梨木香歩さんのエッセイ『ぐるりのこと』に影響を受けつつ
それ以前から、あれこれと、こねくりまわしてきた事柄が、絡まり合って、像を結ぶ


一番最初の境目は、なんだったのか
原子と原子核の間、なのだろうか
そして、原子と電子の間、なのかな


それとも、無と有との境目だろうか


人間の活動が始まってからは
自分と、それ以外のすべてなのかな


皮膚を隔てて、その外側にある空気、地面、空、水、海、川、雲
生き物、植物
自分以外の、ひと


自分だけがあって、それ以外がある
そんな、とてもとてもシンプルなことだったんじゃないだろうか
きっと、とても自由だったのだろう
現代のような利便さは無くとも、生きて、食べて、子孫を残し、寝る、それだけのこと
でも、それが、生きることで
しあわせなことで
しあわせを、しあわせとも感じないような、しあわせな自由さ


大陸と海
島と海
平地と川
平地と山
それぞれと、空
それだけしかない
境目はあるようで無くて、全部がシームレスに緩やかに繋がっている
境目が作られるのは、観察者がいるときだけ
観察者がいなければ、全部で、ひとつの、自然


ひとは、つがいとなり、それが集まり、群れに発展して
その中で生活するひとは、個であり、群れであり
境目があるようで、ないようで


群れと、それ以外の境目の内側が、集落や村で
ここを出ると、危ないよ、危険だよ
この中にいると、安全だよ、守ってあげるよ
ただ、それだけのことで


それ以外のすべては『それ以外』というもの以外のなにものでもない豊かな自然で


これは、食べられるもの
これは、危険なもの
生命に関わるものに対しては、ラベリングが行われていくけれど
境目なんてものは無くて、それらは『それ以外のもの』の一部でしかない


最初の権力みたいなものは、
長生きだとか、強くて勇敢だとか、物知りだとか、天候を読めるだとか
そういった、些細なことだったんだろう
群れの中で、なにかに特化したものを具えているひとが、尊敬されたというだけのことで


そうしてやがて『悪』という概念が生まれてきたんだろうなぁ
『そのままではいられない精神状態を常に持ち続けるひと』ってことなのだろうか


あぁ『悪』ではなく『欲』なのか
『欲』の中に『悪』という種があったんだなぁ


ここから、二元性と分離が生じていったのか


善と悪
上と下


あらゆるところに境目を作り
モノとモノを分離させてゆく
どんどんどんどん、細切れにして、切り離していく
どんどんどんどん、つながりを断ち切っていく


突き詰めてみると、境目ってのは、欲から生まれたものなのかな
欲が作り出していった、欲にとって都合の良い境目の中で、これでもかと小分けされているんだな
エアパッキンみたいに、小さな枠の中に閉じ込められて
インターネットでだけ、境目を飛び越えてゆけるのだろうか
いや、インターネットにだって境目は存在しているんだけど
けれど、現実世界には、境目ばかりが存在しているように感じられるから
境目のない、とてもシンプルな場所は、とても、狭いから


それが『ぼっち』という言葉に結実しているような気がしたりして
『ぼっち』ってなァ、ライトノベル/オタク文化の中で語られる人生観?みたいなもののこと


現代的になりすぎたので
より、根源的なところに戻ってみる


自分のからだと、それ以外を分かつものは、表皮だけで
その表皮を通して、あらゆるものを感じ取る
空気、温度、湿度、光、闇、気配、雰囲気、色、音、匂い


表皮の内側では
筋肉が収縮して、血液が流れ、骨が支え、臓腑が活動し、免疫機能が働いていて、神経が作用し
五感で感じたものごとを全身へと行き渡らせている


外側では、あらゆるものごとが、起きる


薄皮一枚を隔てた、内と外
それを感じること
この、一番シンプルなところに立って、世界を感じて、自分を感じて、味わってみる
何を感じられるだろう
何が浮かび上がってくるだろう
どんな言葉が飛び出して来るのだろう


自分と、それ以外であるならば
意識を移動させてみたら、どうなるだろう


樹齢五百年の大きな大きな樹に、自分の意識を置いてみる
樹皮を隔てた、内と外
太陽が照り、葉を透かし、葉緑素が光合成を行っている
根からは水分を組み上げ、遠く遠くの枝先まで、葉の隅々まで運んでいく
虫が樹皮の上を這い回り、鳥たちが枝に止まり囀っては巣を作り、ウロの中には小動物が巣を作る
風が吹き、葉と枝を揺らして音を奏でる
雨が降り、全身に潤いを与えてくれる


山に意識を移してみたら
月は
太陽は
岩は
猫は
熊は
鹿は
猪は
虫は
茸は
花は


また、自分に戻ってみる
自分と、それ以外とで、何が違うだろうか


内と外との境目で感じたことを、そのまま出していけたなら
『境目そのもの』でありながら『境目を飛び越えてゆける』んだろうか


自分の中から出てきたものなのに
自分の外側にあるもののような
言葉でしか表現できないのだとしても、
言葉では言い表すことのできないものを表現できるのだろうか
誰もが知っている言葉で、再現できるだろうか
絵筆と絵の具で、再現できるだろうか
自分以外にも『それ』を伝えることができるのだろうか


雨雲が広がり、かみなりが鳴り響き
すこしひんやりとした風がときおり窓の向こうから流れ込んでくる
ほの暗くて、かみなりの音に風情があって耳に心地よく
肌が冷やされ気持ちよいと感じる
雨が降り始める
もっと空気が涼しく感じられる
瓦屋根やアスファルト、土、草、コンクリート、車のボンネット、窓ガラスを叩く雨の音
それらに少し眠気を覚える
このまま寝てしまうことが、いちばんのしあわせだ


自分と、それ以外のすべて
それだけの意識で、すべてを捉えて、生きていけたなら
いちばん、ひとらしく、ひとを謳歌できるんじゃないだろうか


二元性ですべてを比較して
分離させて細切れにしていくことしか考えていない世界なんて
もう、観なくていい
『情報』として、多少知っていれば、それでいい


必要な情報は、この、すぐそばの境目の、内と外に、全部ある
全部ある
それに触れているってことは、全部、知っている、知ることができるってこと
たぶん、きっと


境目は、教えてくれる場所
境目の、こっちと、向こうで切り分けるのではなく
境目そのものは、実はとても広くて豊かで
その中を泳いで、感じて、生きていくことなのかなぁ


境目が、すべてを教えてくれるような、そんな気がしてくる

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