2015年3月23日月曜日

なにかと、なにかの、あいだ【ぐるりのこと5】

あれやこれや
日常の些細な事柄が、微妙な綾を成して模様を作っていきまして
物事は『なにかと、なにかの、あいだ』でしか、動かんのかもしれんなぁ
と思ったりしている昨今でもありまして


こんなことを考えている理由は幾つもあるんスけど
まずは、自分の軸と表現が、いまは、まだ固まっていない、ってことが大きくて
不明瞭な中で、日夜あれこれしとるからでありまして


その次にくるのが
梨木香歩さんのエッセイ『ぐるりのこと』を読んだことによる
境目/境界線


そして、原子と原子核の大きさについての記事を読んだこと


こんな事柄と、いくつもの些細な事柄の積み重ねがあって
『なにかと、なにかの、あいだ』
ってのが出てきたんス


どういうことかって言うと
まぁ、文字の通りでしかない、としか言えなかったりもするんですけど(笑


仕事がたくさんあって、目も回るような、いそがしいときだからこそ
隙間の時間に、こまごまとした雑事をこなせたりするじゃないですか
でも、逆に
長期の休みができても
『あれやろう、これやろう』と思うばかりで、結局は何もしなかったりして


ぐるりのこと3回目(クリック!)に載せた図のように
境界線が、細い細い糸みたいだと、動けなくなっちゃうんだけど
太く太く、面のようにすれば、そのあいだで動けるようになるだろうってことだとか


原子っていうのは、原子核の周りを電子が動いているもの(ってのが正確な表現かアレですけど)で
原子の大きさと、原子核の大きさをわかりやすいサイズにすると
・東京ドームが、原子
・1円玉が、原子核
という比率なんだそうであります!
原子核の周りには、すさまじい空間が広がっているわけですよ
(じゃあ、そこには『なに』があるのか?って疑問はあるんですけどね、空気かな?笑)
人間のからだも、机も、人参も、菜の花も、サバも、猫も、ロケットも
拡大していくと、1円玉以外には何もない東京ドームに行き着くわけですわな
で、東京ドームの周りを、1円玉程度の大きさの電子が飛び回っている、と


そんなアレコレがありまして
AとBの間でしか、モノゴトってのは、動けないんじゃないの?
という、気付きみたいなもんが出てきたわけでありました


いま、僕にはBが見えていないので
宙ぶらりんに近いんですな
まぁ、朧げながらも見えてきた部分があるんで、これから動いていけそうなんですけど


要は
A Bの間には、電流が流れるみたいに、なにかが生じてるんだろうなぁ、と


以前、
おびただしいほどの二元性/二元論が、
多くの繋がりを分断していっちゃってるように感じられるって書きましたけれども
この場合は、A と Bっていうものを繋ぐ『なにか』が生じているっちゅーことで


振り子みたいに
A地点とB地点という対極のものの間で、振り子が極限まで行ききることで
反対側へ動くチカラが与えられるような


Aか、Bか
どちらか片一方だけだと、成立せんのですよな
プラスとマイナスも
陰と陽も
正と負も
善と悪も
N極とS極も
なにもかも
これらは概念上、確かに相反するモノゴトなんだけど
『両方が存在していないと成立しない』わけですよな


両方があるから、成立するし
両方がないと、意味を為さないんスわなぁ


最近読んだ記事によると、真偽のほどはさておき、
マクロビ食ばかりを食べている人は早死にする傾向が強いそうでしてね
これは『偏っているから』だそうです
二元性で表現すると『良いもの/プラスのもの』ばかりを食べているからですな
偏ったら、ダメなんすわ
どっちか、一方だけじゃ、ダメなんすわ
からだに悪いと言われているジャンクフードや添加物を摂ることも必要なんだぜってね
そう、読んだものには書かれていたりして
マクドナルドのハンバーガみたいに、何年放置しておいてもまったく腐らないと言われているような
完全な合成食品を、人間のからだは、綺麗に消化してくれるわけですね
ここで『悪いもの/マイナスのもの』を消化するために、からだは頑張るんだそうです
『ヤベェのが来たぞ!!溶かせ〜!!消化吸収すれ〜〜〜!!!』つって(笑
このマイナスをプラスに変えるエネルギィの方が、からだを活性化させるそうなんですよ
至極納得したものでした、僕は
ちなみに
マクドナルドと
ペプシ(NEXじゃないノーマルなやつ)は
マイナスのエネルギィとして、かなり効果がある、と読んだものには書かれてましたねぇ


まぁ、この話の真偽もさておき、ですよ?
当たり前っちゃァ当たり前のことなんですけども
バランスなんですよなぁ、なにごとも


無菌室で育った生物は
過酷な自然環境の中では生き延びることができないでしょう
清濁併せ吞む必要があるんスよねぇ


きれいなだけでは、ダメなんすわ
汚い部分も、必要なんですわ
どっちにどれだけの比重をかけるとか、そういう話でもなくて
適度な、バランス
それが必要になってくるんスわな


児童ポルノだ、有害指定図書だ、繁華街だ、ヤクザさんだ
嘘だ、いたずらだ、殴り合いの喧嘩だ、差別用語だ、なんだかんだ
挙げりゃあキリがねぇッスけども
『これは悪いものだ!』つって排除していけば排除していったぶんだけ
その歪みは大きくなる一方なんじゃなかろうか?と
きれいなだけじゃ、生きられんのですわね
どっちもあるから、どっちも知ることができて、判断する基準が作られるわけで


あれ、なんだかバランスの話になっちゃった(笑


そうそう、片方だけでは、動かんのだよなぁ、ってことから逸れてしまったのでした
もとい


性別も、ひとつだったら、動かんかったんでしょうな、きっと
男女という、二種類の性別があるから、そこにチカラが生じるわけで


物事も、ひとつだけでは動かんのだろうなぁ、と
向かい合う、もうひとつの物事があるからこそ
『そのあいだ』に、動くチカラが生じるんだろうなぁ、と


自分が動けていないことを正当化する屁理屈みたいに感じたりもするんですけど(笑
けど、あながち的外れでもねェんじゃね?と思いつつ


なにかと、なにかの、あいだでこそ、物事は動き出すんだろうなぁ、と
そんなことを、こねくりまわしているのでありました


境界線の話を続ける前に、二元論/二極化のことを書いた方が良いのかもしれない
なんてことも思ったりしつつ、また次回

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